更新日:2021年7月30日

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知事退任記者会見(2021年7月30日(金曜日))

  【発表項目】

  1. 知事退任にあたって

動画

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知事記者会見内容

知事:

 本日で、こういう記者会見は、本当に最後になります。お手元に配布している「知事退任にあたって」に、私の所感をまとめているので、見てもらえたらと思います。
 ただし、考えてみれば、兵庫県は人使いの荒い県だ、と実感しています。退任式を終えた後に、対策本部会議を開いて、まだ、本格的な知事としての役割を果たさなければなりません。やはり、阪神・淡路大震災の復旧・復興から始まった私にとっては、そういう退任の迎え方もあるのだ、という意味で、そんなものか、と思っている次第です。
 ともあれ、先ほど議会に挨拶してきましたが、20年間、二元代表制のもとで、知事と議会と一種の緊張関係もありながら。一方で、県民の幸せを求める営みとしての活動を、両者がそれぞれの役割で果たしてきたということで、お礼を述べてきました。
 最後に書いているように、コロナ対策はもとより、自然災害への更なる備えや、人口減少・人生100年時代への対応、地方回帰やデジタル化など新たな課題、兵庫五国の多様性と個性を生かす地域づくり、兵庫の地方分権を推進して、兵庫の自立を確立する。こういう残された課題に対して、兵庫は従来と同じように、先頭を走り続けて、日本をリードし、世界と繋がっていってもらうことを、心から期待しています。
 今までを振り返って、「兵庫の課題 挑みて20年一筋の途 追い続けたり」という歌を、所感として披露させてもらいます。
 これまでの記者クラブの皆さんのご支援にも、心から感謝します。ありがとうございました。

 

質疑応答

記者:

 「知事退任にあたって」の最後の歌について、伺います。知事は、かねがね随筆などでも、その時々の課題に、現場に即して、対応策や解決策を目指すことを、ずっと続けられてきたと思います。
 そういう多くの課題がある中で、この「一筋の途」に込めた思い、といいますか、「一筋の途」とは、何ですか。

 

知事:

 そんなに深い意味ではなくて、県民の幸せを増進するための活動というのが、県政です。その県政の推進を、しっかりと進めていく。そのために、積極的な取り組みをし続けていく。そういう思いを貫いてきた、こういうつもりで詠ませてもらっています。
 「いくつかの途」、「選択の途」はあるので、それは適切な途を選ぶべきですが。基本姿勢としては、格好よく言えば、全身全霊を県政に捧げてきた、というような思いを「一筋の途」で表しました。

 

記者:

 もう1点、先日、復興基金の感謝のつどいがありました。その中で、出席者からの「復興は終わらない」といった発言が多々あって、印象に残っているのですが。
 井戸知事は、復興計画の達成を使命として最初に当選され、その後もまた災害が相次ぎ、現在も、新型コロナの渦中にあります。
 行政の立場から、復興というのは一体何なのか。復興で最も大変なことは何だったのか、聞かせてもらえますか。

 

知事:

 復興というのは言葉通り、災害がなかったのと同様の状況にしていくのが復興でしょうから。それに、我々が目指したのは「創造的復興」で、元に戻すだけではなくて、21世紀の課題に対して、復興の過程を通じながら、挑戦していこうではないか、というのが、創造的復興のねらいでした。
 創造的復興を成し遂げるための計画が復興計画だったので、その計画の実現を図っていくことは、ひいては復興と、それから、創造的復興を実現していくことに繋がるということで、第1期目は全力を投入しました。
 その時の最大の課題は、経済不況。雇用の環境がすごく悪くて、有効求人倍率が0.4倍台に低迷していましたから。私の最初の時の公約は、5万人雇用創造が大きな公約の1つでした。
 ですから、そういう時々の課題に対する、的確な対応ができるような努力を積み重ねていくということが、重要な県政課題と認識して、県民の皆さんと一緒に進めてきた、と思っています。

 

記者:

 20年の長きに渡り、ありがとうございました。
 少し抽象的な質問になりますが、20年という長い期間の中で、知事ご自身が肌で感じられた、世の中の変化、また兵庫県内の変化というものはどういったものだったのか。
 そして、どういうところを変えていく必要があって、何を変えてはいけないのか、というところ。また、知事の中で20年間ぶれなかったものなど、変わらなかった信念のようなものがあれば、お話ください。

 

知事:

 抽象的過ぎて難しいです。基本的に、私は県民とともに歩む「参画と協働」の県政というのを基本姿勢にしてきました。
 それは、県民とともに県政は推進をしていく必要があるからということでした。それと、もう1つは、阪神・淡路大震災の経験で、ボランティア元年と言われたように、ボランティア活動、つまり、県民の自主的な地域社会への貢献活動が、これからの地域づくりには欠かせない活動です。
 ですから、そのような意味で、参画と協働条例を作ったのですが。そこで、県政への参画と、地域社会の共同利益への参画という、2つの参画の目標といいますか、フィールドを前提にした施策展開を整理しました。その参画と協働の基本姿勢を貫いていくことは、私の基本姿勢であった、ということは間違いありません。
 ただし、1つ考えてみれば、ずっと財政には恵まれませんでした。やりたい仕事が十分にできた環境かというと、なかなか、財政的制約はずっとつきまとってきていた。やはり、1兆3000億円の震災関連県債の返済の重みというのは、非常に大きかった、ということは言えようかと思います。
 私の代で何とかしたかったのですが、返済期限の関係もあって、その残債が令和2年度末で2900億円残っています。これは的確に、行財政の運営に関する条例の枠組みの中で、しっかりと運営していってもらえれば、と思っています。
 それから、やはり、インターネットだとか、情報環境というのは、随分とこの20年というよりも、もうこの5年かもしれませんが、随分と変わりました。
 私などはついていけない、といった方が正直な感想ですが、そういう情報環境の変化に、今、行政のDX、デジタルトランスフォーメーションをどう進めていくかが課題になっていますが。
 行政のDXだけではなくて、社会全体のDXに対して、社会で暮らしている人たちが、対応できるのかできないのか、あるいは対応していかなければならないのか。そのあたりが、ちょうど過渡期にあって、非常に変化の大きな時代を迎えている、と言えます。

 

記者:

 20年間、どうもお疲れ様でした。
 先ほども少し触れられていましたが、阪神・淡路大震災からの創造的復興について。現状の兵庫の姿というのは、知事に就任された当時、思い描いたような姿になっているのかどうか。ハード・ソフト両面について、今、どのように兵庫を見ているのか、教えてください。

 

知事:

 ハードの面は、随分と進んできている、と言えるのではないか。兵庫県内の基幹道路の整備でも、まだ本当に構想段階であった播磨臨海地域道路について、もう事業化の足踏みがされていますし、大阪湾岸道路西伸部の事業は、事業化されています。当初から必要だと考えていた、名神湾岸連絡線についても、事業化されてきました。
 だから、随分とハード面では整備が進んでいった、と言えます。例えば、三宮にしても、最後になった阪急の仮設駅舎が、本格駅舎として、駅ビルも含めて完成しました。あれは、ハードの面で震災の復興が完了したという、シンボルになり得るのではないか。
 ようやく、これから、新しいまちづくりへのスタートが、始まろうとしているし、その始まりの事業が、いろいろと計画されてきている時代を迎えているのではないか。
 一方で、生活復興という観点で言うと、それなりの生活復興はできているし、被災直後のような悲惨な生活状態は脱していますが。いつまでも復興かと言われると、これは復興と言えないかもしれません。しかし、生活の面では、相変わらず格差が残っている。また、新たな格差がこれまでの格差に付け加えられている状態が出てきています。
 県民の生活に対する課題への挑戦は、時々で変わっていきますが、時々で変わっていくニーズに対して、的確に対応していくことが必要ではないか。このような連続性を考えると、復興は終わったとは言えない、と評価できるし、いやそれは、新たな挑戦が始まっている、と言えるのかもしれません。
 どちらでもよいのですが、要は、挑戦し続けていかなければならない課題が、常に残されているという認識が必要ではないか、と思っています。

 

記者:

 最後まで復興宣言を出されませんでした。今、言われた考えのようなことから、宣言をしなかった、ということですか。

 

知事:

 復興宣言は、実を言えば、どのような意味があるのか、ということです。復興が終わったと言ってみても、とりようによっては、まだ終わっていないと。例えば、今でも、区画整理の跡地が利用されていない所が、ぽつぽつと阪神間でも残っています。芦屋や西宮のような地域の人から見れば、なぜ終わったと言えるのか、といった面もあります。
 これは、復興宣言という形で、区切りをつけるのは、行政の都合であって。県民との関わりで、行政の都合を押し付けるわけにいかないのではないか、という思いもありました。
 それよりも、その時々の直面している課題に対して、しっかりと取り組んで行く方が重要ではないか、と考えてきたからです。

 

記者:

 退任後に、どのような活動をされるのか。もし決まっていれば、教えてください。

 

知事:

 退任後は暇だから、暇との挑戦も考えていかなければならない。どのように生活スタイルを確立していけばよいのか、まさに試行錯誤をしていかなければなりません。
 というのは、昭和43年に勤務を開始して、ずっと仕事一筋で50数年やってきましたから。いわゆる仕事がないという状況が、初めてです。その初めての生活をどのように構築できるのか、不安です。不安ですけれど、私はもともと楽観主義者ですから、まあ何とかなるでしょう、と思っています。

 

記者:

 20年間お疲れ様でした。
 震災からの復興について。創造的復興に県は力を入れてきたということで、復興中、県がその後の災害でリーディングプロジェクトになった、思い入れのある事業は何か。
 先ほど、財政難でやりたい仕事ができなかった、という発言がありましたが。具体的に、もしもお金があれば、どのような事業の活動にも手を伸ばしたかったのか、今、振り返っていかがですか。

 

知事:

 地域における自主防災組織の活動などは、明らかに阪神・淡路大震災の後、復興過程の中で生まれてきた活動です。これはもう全国に展開されています。
 それから、生活再建支援制度を、震災直後、全国に運動を展開して、被災者生活再建支援法という法律をつくってもらいました。それが今の、大きな被災地を、まずは支える基盤的制度になっていて、これも兵庫から始まったことです。
 しかし、兵庫自身には、この法律は、不遡及が原則であったために、阪神・淡路大震災の被災者には遡及されませんでした。それをどのように、同じような救済措置をつくるのかというところから。復興基金の積み増しをして、復興基金事業として、同様の措置を行うことを政府と交渉して実現できた、というのも、非常に大きな、1つの事業だったのではないか、と思っています。
 まだ、挙げていくと、いろいろとあります。

 

記者:

 もしも財源があれば、どのような仕事をしたかったですか。

 

知事:

 例えば、アリーナを作りたいなど。今、公園のリニューアルをしなければならないため、もっと人々のニーズに即した公園の再構築をしていかなければならない。あるいは、県庁舎ももっと早く、手がけていた方がよかったのかもしれません。
 しかし、無いものねだりはできないので。しっかりと今、準備を進めて、計画的に進めようとしています。これまでの準備や計画を、さらにブラッシュアップしてもらって、実現することを期待しています。

 

記者:

 関西広域連合について。井戸知事は5期、10年連合長を創設以来務められて、いわば生みの親のようなところがあるかと思います。
 改めて、関西広域連合の残した功績と、今後の課題について、お願いします。

 

知事:

 関西は常に「1つ1つ」と言われてきました。なかなか1つのまとまりになりにくかったところがありましたが。一方で、踏みとどまって考えてみれば、例えば、南海トラフ地震が起きた際に、各府県はそれなりの防災対策をとっているけれど、関西全体としての防災プランというのは持っていない。あるいは、それに基づく、行動を指導する司令塔がいない。
 こういう状況で、大きな面的な、統一的行動が取れるのだろうかというところが、1つの大きな課題としてありました。これを何とかしなければならない。
 次に、地方分権ということを、地方側から常に言いますが、自分で、地方分権について、行動したことがあるのかと考えてみると、あまりありません。
 ところが関西広域連合は、都道府県が入る連合体のため、地方自治法上、国の事務や事業を移譲するように要請する、要請権があります。そのような要請権を持っている団体を、連合として作り上げることは、地方が自主的にできるため、地方ができることを一歩でも進めていくことは、地方分権に対する一石を投ずることになるのではないか。これが2つ目の狙いです。
 3つ目は、国の事務の受け皿です。広域的な、都道府県にはおろせないが、ブロック単位の団体であれば、おろせるような国の事務の受け皿。それが出先機関の丸ごと移管にも繋がりましたが、そのような受け皿としての機能を果たすことは、関西広域連合の狙いでした。
 1つ目と2つ目はそれなりに実現し、1つ目の共同事務などについては評価されていますが、3つ目です。民主党政権の時に、あと一歩というところまでいきましたが、その後の解散で、閣議決定された法案が廃案になってしまいました。それ以降、安倍内閣自身が、非常に分権に対しては積極的ではなかったこともあって、これが十分には実現できていません。
 それでも、中央省庁の地方移転では、文化庁と統計局(統計データ利活用センター)、消費者庁(新未来創造戦略本部)が、関西広域連合のエリアの中に、移転してくれているので、やはりそれなりの成果はありました。
 しかし、国との分権の推進とのやりとりという面では、不十分ではないか、つまり、これがこれからの大きな課題ではないか、と思っています。

 

【最後の挨拶】

 20年に渡る、井戸の知事在任でしたが、明日でもって退任することになります。
 20年というのは長いようですが、私流に考えれば、1期、2期、3期、4期、5期、それぞれに課題があって、その課題に対して審判を受けて、就任をして、県政の推進にあたってきたため、振り返ってみれば、あっという間に終わってしまった、というのが実感です。
 ただし、残されている兵庫県のこれからの課題があるので、それに対しては、県民の皆さんは新しい知事のもとで、ぜひ臆せずに挑み続けてもらうことを期待したい、と思っています。
 私は、兵庫県は常に変革と挑戦をし続ける県だと思っています。そのような意味で、県民の皆さんも、変革と挑戦を続ける県を、ぜひ支えてもらえるとありがたい、と思います。

 

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