更新日:2023年3月27日

ここから本文です。

局長メッセージ(令和3年10月)

  

 9月になり、年度の半分が過ぎようとしているなか、県民局で急いでいるのが『丹波新地域ビジョン』の策定作業です。現在、検討委員会の開催やインターネット・アンケートの実施等を通じて各方面からご意見をいただきながら、素案の作成に鋭意あたっています。

 この策定作業の一環として、去る8月31日には、丹波で長年古文書調査等に携ってこられた神戸大学地域連携推進室の松下正和特命准教授をお招きし、「丹波史を聞く会」を開催しました。「未来を展望するには過去を知る必要がある(温故知新)」、「丹波の魅力、強みを知るには、原点にまで遡って理解する必要がある(原点回帰)」。そんな想いから開催した勉強会です。

 

                           matu

                           神戸大学 地域連携推進室

                            松下正和 特命准教授

 

 当日は、松下先生から丹波の風土・気質、村落の伝統・風習などをテーマにお話を聞くことができました。そのなかで特に興味深かったのは、丹波は郡(兵庫2郡(多紀・氷上)、京都4郡)ごとに特色が異なるうえに、郡の下の郷(さと)の色合いが強く残っているというお話でした(多紀郡に8郷、氷上郡に17郷存在)。古代の郷、中世の惣村(そうそん)※※、明治(町村制施行時)の旧村の伝統が今に伝えられているのが丹波なのです(余談ですが、丹波県民局の丹波出身職員の約半数が中世以来の氏を名乗っています)。

 

※律令制下の地方行政制度である国郡里制の「里」が、715年「郷」に改称され、その下に改めて里が組織化されるようになりました

※※中世に農民がつくり上げた自治的な村・共同組織                           

 

                                          t

                                          「元禄期の所領配置図」(多紀郡・氷上郡)(『兵庫県史』第4巻付図9-Ⅴ)

 

 当日同席いただいた岸孝明地域ビジョン委員会委員長からも、丹波では旧村・集落が今も思考の単位、ふるさとの単位になっているとのコメントをいただきました。そこで、検討中の新地域ビジョン素案では、集落単位の絆が強い丹波を「集落共和国たんば」という言葉で表現してみました。

 「丹波史を聞く会」では、江戸時代の地誌・風土記である『丹波志』についても、詳しくご紹介いただきました。『丹波志』は、福知山藩士古川茂正らによる丹波国の地誌に関する遺稿を、正茂の子正路が校正し寛政6年(1794)に刊行したもので、江戸時代における丹波地方史研究の基本文献となるものです。郡ごとに神社、村、古城、姓氏、旧栖(土豪の旧宅)、(景)勝地、産物、仏閣等についての記載がなされています(完成したのは、丹波6郡のうち多紀郡、氷上郡、天田郡の3郡のみです)。

 当日、松下先生には氷上郡の産物・名所の項のコピーをお持ちいただきました。その内容を拝見しますと、産物では茶、桑、煙草などと並んで、やはり栗が名産に挙がっています。次の評をみる限り、当時より丹波栗は全国的に高く評価されていたようです。

 「此所の栗を極品とす。形頭座との其分(形がよく座りがいい分)格別なりという。京都に於いても門野(葛野)栗を賞翫するとあり。実も大なり。俗説此所の栗は皮を去らずして投火すれども、はぜり(割れて飛び散ること)なしという」(葛野村(現・丹波市氷上町))

 「栗両手に打合せ持つ故手々打栗(ててうちぐり)という。名産なり。廻り六七寸(18~21cm)までの大栗なり。(中略)丹波栗は都にて名産として、諸国に之を唱う。(中略)国中大栗あれども此の唱を聞かず、岩屋村に限るか」(岩屋村(現・丹波市山南町))

 

 

        si                   k

                   『丹波志』古器産物部山西山東                                                       今も昔もブランド品

             丹波栗に関する記述<丹波市教育委員会蔵>                  -『丹波栗』-

 

 一方では、今は生産されていない氷蒟蒻(こおりこんにゃく)が当時は槇山六ヶ村(牧山谷(現・丹波市山南町))の名産だったことを知ることもできました。「箱根御関所も丹波氷蒟蒻無切手(=手形)に通る」という諺があったくらい、全国ブランドだったようです。

 名所の項には、「水分レ川(みわかれがわ)」が挙がっていて、当時から瀬戸内海、日本海の双方に注ぐ川があることを地域の特色として意識していたことがわかりました。また、江戸時代らしく化物屋敷が紹介されているほか、今は知られていない大きな寺の古跡や温泉跡なども紹介されていて、とても興味深く拝見しました(「氷室」が丹波にあったことも私には意外でした)。

 この『丹波志』に関しては、今年度から、氷上郷土史研究会が氷上郡の部を現代語訳し、冊子にまとめようと、参加者(訳者)を募り、講座を開催しています(今年度4回開催。来年度以降も開催予定)。そしてこの講座の講師を務めておられるのが、松下先生です。先生のご指導のもと、『丹波志』の現代語訳が進めば、ふるさと丹波への理解がさらに深まっていくと思います。

  松下先生のお話では、よく使われている高校の日本史教科書のなかには、丹波の古代中世の記述がないそうです。しかし、仮に歴史の表舞台に出てこなくても、丹波では古代から中世、近世、近代と、時代ごとに特色ある歴史が地層のように積み重ねられてきました。その歴史を紐解いていくことで、丹波というものの本質に迫ることができると考えています。新地域ビジョンの策定にあたっては、「不易流行」の精神で、次代に向けた変化の必要性を提起するとともに、時代を越えて受け継ぐべきものがここ丹波にはあること(「伝統と革新」)を訴えていきたいと思います。

 

※ ※ ※

緊急事態宣言は解除されましたが、依然として感染再拡大への十分な警戒が必要です。

引き続き、感染収束に向けた対策の徹底にご理解、ご協力をお願いします。

 

お問い合わせ

部署名:丹波県民局 県民躍動室

電話:0795-72-0500

FAX:0795-72-3077

Eメール:tambakem@pref.hyogo.lg.jp